2012年06月02日
脚で走り、腕で打つ
脚で走り、腕で打つ
ちょっと物騒だが、こんなイメージ。
足回りは機敏に動くことだけに
性能が特化されている。
脚の勢いで弾を飛ばしたりはしない。
大砲は撃つことに特化して
最近のというより、ずいぶん前から
コンピューターの制御で
でこぼこの原野を走りながらでも
マトを狙い続ける。
最近では2万円もしないデジカメでも
顔認識や手振れ自動補正
スポーツモードなら
最初にあわせたプレーヤーにピントを合わせ続ける
こんな技術はごくごく当たり前なのだ。
金に糸目をつけない軍事技術なら
マトを狙い続けるなんて当たり前。
さてさてテニスだった。
私は技術屋出身のせいか
すぐ、打球技術もメカニカルに考える。
脚の役目は、腕は、そのとき手首は、 ・・・
逆にみなさんは
全体で、いいフォームを考えすぎではないだろうか
もっと単純でいいと思う。
ボールに近づく、距離を適正に保ち続ける。
手はラケット面を保ちながら
腕をラケットを、ビュウッと振る。
足について言えば
右が出ても左が出ても
ちゃんと距離を保って
しかも、上体をぐらつかせなければいい。
地面に足がついていなくても一向に構わない。
安定するなら
戦車からではなく
飛行機からぶっ放してもいいのだ。
腕を振ろうと思えば
上体は自然に動く。
それは、そんなに詳しく教えなくても
身体が、勝手にやってしまうこと。
教えたがり、教わりたがりが多すぎると思う。
自身の才能を信じよう。
自宅からテニスコートまで
間違えずに腕を振り
転ばないで無事到着するような人なら
大抵の身のこなしは自然に出来る。
後はちょっとしたテニス独特のこつやノウハウを
コーチから習えばいいのだ。
だから、コーチは自然に覚えるはずのことは教えない
テニスで特に問題になる部分だけを
厳選して教えることが出来ないといけないのだ。
手取り足取り
すべて習おうとすると、かえって泥沼に入るので
お気をつけて。
脚で近づき、腕で打つのだ。
ちょっと物騒だが、こんなイメージ。
足回りは機敏に動くことだけに
性能が特化されている。
脚の勢いで弾を飛ばしたりはしない。
大砲は撃つことに特化して
最近のというより、ずいぶん前から
コンピューターの制御で
でこぼこの原野を走りながらでも
マトを狙い続ける。
最近では2万円もしないデジカメでも
顔認識や手振れ自動補正
スポーツモードなら
最初にあわせたプレーヤーにピントを合わせ続ける
こんな技術はごくごく当たり前なのだ。
金に糸目をつけない軍事技術なら
マトを狙い続けるなんて当たり前。
さてさてテニスだった。
私は技術屋出身のせいか
すぐ、打球技術もメカニカルに考える。
脚の役目は、腕は、そのとき手首は、 ・・・
逆にみなさんは
全体で、いいフォームを考えすぎではないだろうか
もっと単純でいいと思う。
ボールに近づく、距離を適正に保ち続ける。
手はラケット面を保ちながら
腕をラケットを、ビュウッと振る。
足について言えば
右が出ても左が出ても
ちゃんと距離を保って
しかも、上体をぐらつかせなければいい。
地面に足がついていなくても一向に構わない。
安定するなら
戦車からではなく
飛行機からぶっ放してもいいのだ。
腕を振ろうと思えば
上体は自然に動く。
それは、そんなに詳しく教えなくても
身体が、勝手にやってしまうこと。
教えたがり、教わりたがりが多すぎると思う。
自身の才能を信じよう。
自宅からテニスコートまで
間違えずに腕を振り
転ばないで無事到着するような人なら
大抵の身のこなしは自然に出来る。
後はちょっとしたテニス独特のこつやノウハウを
コーチから習えばいいのだ。
だから、コーチは自然に覚えるはずのことは教えない
テニスで特に問題になる部分だけを
厳選して教えることが出来ないといけないのだ。
手取り足取り
すべて習おうとすると、かえって泥沼に入るので
お気をつけて。
脚で近づき、腕で打つのだ。